禁煙日記15

 

禁煙日記15

重複しますが、酒煙草をやらずして、重篤な病におかされる方もいらっしゃることを承知で書いております。ご笑覧下さい。

 

今朝、私はなにやら脳みそがずれたような感覚に襲われ、やる気と倦怠感が三十秒ごとに入れ替わる感覚にも苛まれ、いても立ってもいられなくなり、寓居からすぐのところにある禁煙外来に行くこととにした。こういう時の為に歩いてすぐの場所に禁煙外来を探しておいたのである。チャンピックスの副作用であろう。

 

担当医は以前の先生とは違ったが、優しく接して下さった。医師は、私の今までの生活状態、前回のデータ、今の私の状況を見て、少なくとも今日一日だけは休む事が先決という診断をくだした。私には今晩演奏の仕事があると説明すると、では、あなたの社会生活は大切な事柄だから、演奏前までは何もせず、充分休むことと再度言いわたされた。脳には活動する脳、休むための脳があり、それがうまく機能していないため、私は疲弊しているそうだ。薬の副作用のみならず、だからこその不眠であり、倦怠感なのである。思い当たることは多々ある。頭に渦巻く数々の、浮いては消える異形なる思いも、脳が疲弊、疲労している証拠で、それを放置することが必要だとも教わる。それによって曲を書こうとか、振り払おうと無理をせず、その状態を楽しめるようにすることが快復への早道である。それらのことを鳥の目で俯瞰するようにして、やりすごすしかないそうだ。しかしこれは禅のお坊さんの境地ではないか。

 

医師の説明は続く。これは備忘録でもある。脳を喫煙以外でも休ませる方法が必ずあること、その状態になる方法を喫煙以外に探すことが大切であること、なにも手に付かなければ一旦休むこと、リラックスするための脳をどう働かせるかが大切であること。私は、書くという動作だけ、何故だかどんなに疲弊していてもしてしまうと説明すると、医師は、書くことが一つの休みとなり、今苦しんでいる症状を救う手立てであるとあなたが思うのならば、そこは逃げ道の一つであるという。しかし、書くことはブルーライトを浴びながら、頭を働かせることなのではないかと質問すると、それでも書くことが一つの休みになるという。書くことに逃げても良い。眠ることも眠るという状態に脳が逃げていると考えてもいい。機械オンチであるにもかかわらずFBに禁煙日記を記し、世間に喧伝することで、禁煙せざるをえない状態に自分をもっていった事を説明すると、「う〜んうん、酒煙草に比べれば、ブルーライトの害など、世間では騒ぎますが、ごくわずかですよ。一つのことが全て丸く収まることはないのです。この世はオーダーメードで出来ていないのですよ。機械に妥協しましょう。書いてみてはどうでしょう。焦らずに一つ一つ自分を楽にしてやることが大切です」

 

医師の言うとおりである。私は無意識のうちに自分を救う手段を見つけ、書くことによって自分を救ってきたようだ。やはり書くことが禁煙の症状からの脱却であったのだ。

 

家に帰り、私は医師に言われたとおり、今夜行われる下北沢アポロでの演奏まで、普段演奏前にやっていること、指慣らしの練習、その他の「しなければいけないこと」を全て放置し、カウチに横になった。頭の中がぼんやりしていそうで、しかし突然表出する過去の異形なる思いが、再度走馬燈のように駆け巡る。きたぞ。さて、医師の言うとおりにするならば、私は修行していなくとも、修行したことに自分を無理矢理ねじふせて、私は禅を習得したと思いこむしかない。しかし、司馬遼太郎氏の文章に、禅を習得できるのは何万人に一人であると書いてあった覚えがある。だが今は、その何万人の一人が自分だと思いこまなければこの場を凌げない。

 

そうだ、一休宗純を真似れば良いのだ。一休さんだ。以前本で読んだことがある。臨済宗だから禅宗である。本は売ってしまい手元にないが、とにかくミュージシャンよりファンキーなお坊さんがいると思った記憶がある。禅僧になるのは大変な修行が必要だが、一休さんのような破戒僧を参考にすれば良いのではないか。僧であるにもかかわらず、何度も自殺を試みたり、カラスの声を聞いて大悟したりしたことまでは覚えていたが、ウイキペディアによると、男色、肉食、飲酒や女犯を行いとある。更にいろいろと調べてみると、当時はカネで高僧の地位を買えたとも書いてあった。一休さんはそれにケツをまくったのである。「釈迦といふ いたずらものが世にいでて おほくの人をまよわすかな」という句も残している。一休さんの言葉には、私の感性にぴたりと合う親近感を感じる。釈迦を知り尽くした人の言葉であることも忘れまい。頓知とはユーモアにも繋がる。この頓知で副作用を上手に抑え込めないだろうか。

 

私の好きなサイトに、「世界恩人墓巡礼」というものがあり、ここにも一休さんの事が記してあった。一休さんは他界する直前に、「どうしても手に負えない深刻な事態が起こったらこの手紙を開けよ」と弟子達に手紙を残した。後年、弟子達に重大な問題が起こり、恐る恐る手紙を開封してみると、「大丈夫、心配するな、なんとかなる」と書いてあったとのこと。わはははは。この人は昔気質のミュージシャンに似ている。しかも最高の解答でもある。そして今の私にとって最も必要な気質をこの一休さんという方は放たれている。すばらしい。

 

更に調べを深めてゆくうちに、私はもっと一休さんのことを知る必要があることが分かってきた。このお方の感性は、僧である以上に、ある意味ジャズメンに似ている。しかも当時の平均寿命を優に二倍超えた八十八歳まで生き続け、僧であるにもかかわらず、臨終の言葉が「死にとうない」であったという。規格外の存在だ。他にもすばらしい言葉ばかりを後世に残している。早速、水上勉著、「一休」をアマゾンにて買い求めた。

 

さあ、大丈夫、心配するな、なんとかなる、アポロでダーンといい演奏をしよう。

 

禁煙日記続けます。