禁煙日記1

禁煙日記

どなたか、禁煙の秘訣をご伝授下さい。お願い致します。

禁煙に挑戦中です。36年間、禁煙など考えずに吸い続けてきました。只今禁断症状の最中におります。このように文章を書いていると、気散じになるので書いています。おつきあい下さい。

作曲、練習、仕事、雑用、SNSによるスケジュール管理、○×急便のバカな対応へのイライラ、都知事選の結果への怒り、I phone, Mac book Airなどの機械類を完全に使いこなせないことに対する根本的な不条理感、ローマ字変換で文章を書いていること自体への妙な違和感、断捨離したはずなのに、片付けてもすぐに散らかる部屋、譜面、本の山、根本的に暑いというだけの理由による集中力の欠如と、欠如している自分自身に対する焦り、等々が同時に私の気分を不安定にするため、気が付いたら一日に煙草二箱以上を吸うようになってしまっていました。皆同じ条件で頑張っているのだ、と言われれば、仰るとおりなのですが。

しかも部屋でくわえ煙草状態で作業をしているときは、扇風機を間近に置いて、顔面に風が来る状態にしていることが多く、床一面が扇風機の風によって灰皿状態となってしまう。まずいと思い部屋の掃除を始めるのですが、それもくわえ煙草。何をやっているのか、根本的存在理由自体さえワケが分からなくなってきて、もう吸うのはやめようと思い立った後がまた大変。実はデンマークで仕入れてあるニコレットという代物がある。日本では手に入りません。これは一見、日本の禁煙パイポ状のものなのですが、その間にニコチンを湿らせた綿の入った弾丸状の部分に、円形のプラスチックカヴァーの付いた筒型のものを、そのデンマーク禁煙パイポに装着して吸うと、煙、灰を出さずして身体にニコチンを摂取できるという代物なのです。ニコチンガムも買うときに付随してくる。これは元々飛行機で海外に行くとき、機内で使っていた代物なのですが、、、、と言うことは、今の私は居間にいる状態であの嫌いな飛行機の機内にいるのと同じ状態ということになります。居間以上に居心地の良い場所が私にはないのです。瞳孔が開き、ニコレットを吸ってニコチンを摂取していても、口から煙が出ないとなぜか寂しい。ということで電子煙草とメンソールの液体を新宿で買い求め、電子煙草、ニコレット、e- cig、ニコレット、を繰り返しているうちに、急にペラペラと妻にワケの分からないことを喋りだしたり、庭から見える木の茂みの緑色が急に鮮明に見えてきたり、音に更に異常な敏感性を持つようになったり、急にパンツ一丁で暗黒舞踏のように身体をくねらせながら、顔を阿修羅のようにして意識をどこかにブチ飛ばそうと試みたり、気が付いたら生きている自分がいる、という状態に今あります。

思えば煙草との付き合いは長いとは言え、吸い始めるのは遅い方でした。24歳の時に、文房具屋でアルバイトを始めました。主な仕事は文房具を学校、事務所などに軽自動車で届ける業務だったのですが、なんとアルバイト初日、こちらの不注意でその軽自動車ごと電柱に突っ込み、小銭を稼ぐつもりが軽自動車代をその文房具店から請求されるというワケの分からない状態になり、ヤケクソで吸い始めたのが始まりです。その当時から演奏の仕事もしていましたが、演奏場所が煙りだらけで、吸っても吸わなくても吸っているのと同じであるから、吸うのは止めておこうと思っていたのです。

飲酒を止めるときも七転八倒し、辛い思いはしましたが、煙草を止めるのは、飲酒を止めるのとはある種違った、体内の奥深くに根を張った「欲求」との戦いとなっています。これは手強い相手です。ボストンで私にナイフを向けた黒人、銀座のナイトクラブピアニスト時代に、たびたび起きたいざこざの相手、演奏中騒ぐ客、こいつらよりも手強い。逃げることも、そいつを黙らせることもできない。なぜならば、相手は自分自身だからです。そして、その自分自身の中には、頭脳から来る「吸えという命令」と、意志から来る「冷徹な忍耐」の二つが同居しており、この二つを客観視している我は、デカルトの言うところの我なのかは分かりませんが、客観視してるからこそ、その命令とか意志とかを見つめられているわけです。では、その我を見つめている次の「我」はいったい誰なのでしょう。実際、その次の「我」がいなければ、このような文章は書けません。命令と意志を感じている我は、私の場合、客観視しかしていない。このように文章化するにあたり、客観視する我を見つめるもう一人の「我」が少なくとも私の中に存在する。多分、哲学者、池田晶子さんしか答えられない難問でしょう。しかし彼女は残念ながら物故しておられる。

さて、以下の文章は、煙草を吸いたい欲求を忘れるために気散じに書いているものなので、くだらないです。お暇な方、馬鹿笑いしたい方だけお読み下さい。

煙草のウマいとき、それは、起き抜けのコーヒーとの一服、暑い日にシャワーを浴びた後の一服、旨いものを喰った後の一服、いい演奏をした後の一服、夜中にふいに目が醒めた時の孤独な一服、若い頃は女の子と一戦を交えたあとの一服、

「ねえ、だめよ〜ベッドでタバコ吸っちゃ〜」

「いいじゃねえかよ、一服ぐらい」

「ダメなものはダメ。灰皿のあるとこで吸って」

「うるせえなあ」

「なによ〜そのタイドは〜、ここあたしんちなんだからね」

「半分俺んちじゃねえかよう」

「あたしんちよ〜、言うこと聞かないとオシオキ光線ピカー」

「うっ、まぶしい、なにやってんだよおまえは〜ぷは〜、お前バカなんじゃないの、ぷは〜」

「けむたいんだってば〜」

何ていいながらまた始まったりとか。

ああ、銀座時代も掛け持ちといって二件のナイトクラブで三十分ずつピアノを弾くというバブル絶頂時代の荒技中の裏技に揉まれていたのですが、そのチェンジの間に吸う煙草もウマかった。「ミナミチャ〜ン、景気はど〜よさいきん、ぷは〜」

「あ、バンマス、おはようございまっす。まあまあっすねえ、ぷは〜」

「ところでミナミちゃん何吸ってんの、ぷは〜」

「ブンタです、ぷは〜」

「なに〜、ブンタってセブンスターのことかよ、あのなあ、お前は銀座の一番高い店でピアノ弾いてんだぞ。ヨーモク吸えヨーモクをよう、マルボロとかアンだろ。ああいうのポッケに入れとくんだよ。かっこつかねえジャネエかよ、ぷは〜」

「バンマス、うっす、わかりました、ぷは〜」

「しょうがねえからオレのゴロワーズ一箱やるからよ、ぷは〜、ちゃんとカウンターに座るときはこういう煙草出して座わんな」

「うっす。わかりました、バンマス、ありがとうございまっす。ぷは〜」

とか何とか言っている世界に三年いたのです。

午後6時半からノンストップで夜の十二時まで弾き続けた後の一服がまた格別で、アフターで残っているチーママと、

「ミナミちゃんもおやすくないのねえ、ホステスの女の子にけっこうファンの子がいるんだからさあ〜」などとおだてられているとは分かりつつも悪い気はせず、粋がってゴロワーズジッポーを片手で操って、シュッ、カシャンとわざと大きな音を出して火を付けて,

「そんなもんっすかね〜、ぷは〜」などとテキトーに答えると、

「あら〜、気付いてなかったの。はい、灰皿。いい煙草吸ってんじゃないのよ、ぷは〜」

「バンマスにもらったものでして、いやあ、やっぱヨーモクは味と香りが違いますね、ぷは〜」

「日本の煙草なんかまずくて吸えやしないわよ〜、ぷは〜、あたしはねえ、セーラム吸ってんのよ、ぷは〜」

「ねーさん、ちょっとみせて下さい、おっ、オシャレなパッケですね。ぷは〜、さすがねえさん、粋でいらっしゃる」

「ホステスにお世辞なんか言っても通じないわよ。あんたみたいなピアノ弾きが、プハー」

「あれ、ハナシの方向が急に変わりましたね、プハ〜」

「やだ、煙をこっちに吹き付けないでよ、やんなっちゃうわねえったく、あんたはお客じゃないんだからねえ、プハ〜」「姉さんの煙を浴びたら間接キスだったりして、プハ〜」

「バカいってんじゃないわよう、終電大丈夫なの、プハ〜」「プハ〜、今日お客にタクシー券何枚かもらったんで、首都高一週でもしてから帰りますよ、ぷは〜」

「あら、粋がっちゃって、まだ若いクセして、プハ〜」

「し〜マセン。ママチャン僕とあまり歳は変わらないけど、ママ大人だもんね、ぷは〜。こっちはピアノだけ弾いてりゃあいいんだから。ほんとにご苦労さんす、プハ〜」

「だから銀座のママにオジョウズ言っても何もでてこないわよプハ〜」

「ひえ〜きょうはプハ〜、ゴキゲン斜めみたいだからぷは〜、ここらヘンで退散かな、ぷは〜〜」

あの頃は煙草が会話の中での「道具」でした。吸わないなんてことはあの業界ではあり得ない。況んやヨーモクでなければだめ、という状況で、私は奮闘していたのです。ですが、気疲れし、一人になった時の僕にただ黙って安らぎを与えてくれるものは、その紫煙をくゆらすことでもあったのです。

父親が火葬場で灰となったとき、煙突から出る煙を見ながら、別の種類の煙を吸っていました。あの時の一服も忘れられません。終わった。と思ったと同時に、オヤジ−、どこいっちゃうんだーと涙しつつ吸った煙草の味もまたほろ苦く、その時のやるせない気分の私を、ほんのちょっとだけ救ってくれました。

私がアメリカに留学している頃は、今ほど禁煙とかNO SMOKINGが厳しい時代ではなく、私自身もまだ精神的にもっと子供っぽかったのですが、煙草呑みのアメリカ人の友人から、「ヘイ、ヒロのシガレットの吸い方、クールだな」と言われて増長し、当たり前だろ、おまえらみたいに不味いものを大量に平気な顔をしてむさぼり食うカッペのアメリカ人とは人品骨柄が違うんでエ、なんて粋がっていたのです。

タバコを吸うことは、非常に楽しく、また仲間も増えることも確かです。一服する間の共有感は、吸わない方には多分、理解できないでしょう。

ここまでどっぷりつかった喫煙にさよならをする決意をしたきっかけは、一日二箱を過ぎたのみではありません。ただ単に嫁の一言です。私がタバコを吸うのが嫌だから止めて、と言われました。人間も変わるものですなあ、以前の私なら「じゃあ、オレに近寄らなければいい」の一言で終わらせるような無法者、バカ、恥知らずであったのですが、しかし、この電子煙草の充電は、何でこんなに時間がかかるのか。悔しい。自分の意思がこれほどニコチンに支配されていたとは。自分で自分を制御できないなんて。

一人アイスランドで、北海を眺めながらの一服も最高でした。うーん、地球はすごいところだな。それだけしか言葉が思い浮かばないほど、そこは絶景の地で、紫煙が猛烈な風に吹き飛ばされてゆく。さすがに吸い殻をそこにぽいとは捨てませんでしたが、味わい深い記憶の断片です。

考え事をしている時など、指が火傷をするぐらいタバコが短くなっていても自分自身気付かず、煙草呑みは、必ず一吸いしてから灰皿にもみ消す癖が付いているため、もうフィルターしか残っていない、考え事中の煙草を一吸いして、フィルターが燃えてむせかえったりしていました。

ドイツにツアーに行ったときも、最初に覚えた言葉が、「イッヒ・メヒテ・アイン・チガレッテン、ビッテ」であり、その次が「ヴォー・イスト・トワレッテン?」(トイレはどこですか?)でありました。

うっ、タバコが吸いたい、煙草が。うう。もう何日も煙草を吸わないのは、飛行機の中と、あの交通事故以来です。